ソフトテニスは、1992年までは軟式庭球と呼ばれていましたが、ルール改定により、「ソフトテニス」に変更となりました。
日本生まれのスポーツが、世界へと広がり、国際大会も開催されるようになりました。
令和3年1月5日に「軟式庭球からソフトテニス 日本代表の全歴史」という雑誌が発売になり、さっそく購入しました。
ソフトテニスの日本代表についてここまで詳細に記録が載っている書籍はなく、歴代の日本代表選手たちの活躍や苦悩が記されています。
4つの国際大会
日本代表選手が、世界の国々と戦ってきた大会は以下の4つに分けられます。
- 「アジア競技大会」
アジア競技大会は、オリンピック種目ではないソフトテニスにとっては最も重要な国際大会となっています。1994年の広島大会からソフトテニスも正式種目となりました。
- 「世界選手権大会」
1956年から1973年まで「アジア軟式庭球大会」という大会がありました。1975年からは「アジア軟式庭球大会」の流れをくむ「世界選手権大会」が開催されるようになっています。
- 「東アジア競技大会」
東アジア競技大会は1993年に始まり、4年に1度開催されてきましたが、東アジアユースゲームズとして開催されることになり、大会自体はなくなっています。
- 「アジア選手権大会」
アジア選手権大会は、1988年から日本で開幕されるようになりました。アジアソフトテニス連盟が主催しています。
国際大会で勝つ難しさ
私は、ソフトテニスに20年以上関わっていますが、ソフトテニス日本代表といえば中堀・高川ペアが1番に思い浮かびます。
中堀・高川ペアは、引退するまで全日本選手権9回の優勝という偉業を成し遂げています。常に進化を続け、ダブルフォワードという新しい戦い方にも対応し、台頭する若手の挑戦を退けてきました。
しかし、国際試合の戦績を見てみると、1995年から2010年まで出場し、個人タイトルは2001年の東アジア競技大会でのダブルス優勝のみです。
日本国内最強の中堀・高川ペアであってもこの戦績ですので、日本代表が国際試合で勝つことの難しさが改めて分かりました。
オリンピック競技ではないソフトテニス
「軟式庭球からソフトテニスへ 日本代表の全歴史」には、歴代の日本代表選手のインタビューが数多く載っています。
その内容を読んだ印象では、最初から日本代表を目指している選手は少ないように思えました。
日本の代表として戦うんだという強い意志を持っているというよりも代表として戦う中で、徐々にその責任感が増しているような気がします。
ソフトテニスはオリンピック種目ではないので、「世界一」や「オリンピックで金メダル」公言する選手はあまりいないのではないでしょうか。
世界よりも「日本一」に目標が置かれやすいスポーツであると歴代の代表選手の発言を読んで実感しました。
ソフトテニスにおいては、国際試合のテレビ中継はなく、雑誌やインターネットでその内容を知る程度です。私も実際に観戦したのは、千葉で行われた2016年のアジア選手権大会のみです。
オリンピック競技になれば全てが解決するわけではありませんが、「日本代表」の意識を高める意味ではオリンピックの競技にソフトテニスが認められることは大きな意味があるように思います。
まとめ
国際大会の日本代表に選ばれるのは数人ですので、ほとんどの選手にとっては国際大会は競技人生においては関係のないことです。
しかし、日本代表が苦悩しながら国際大会で戦い続けてきた歴史を知ることで、ソフトテニスという競技の魅力が一層増します。
是非、書店などで見かけた際にはご一読下さい。